3月、関西で大きな学会があり、久しぶりに大学の時の友だちと会って話をすることが出来ました。彼は、製薬会社の企画部門で、私と似たようなお仕事(新規プロジェクトの立ち上げとか)をしています。近況を一通り話し合って、「お互い大変だよね」とお約束の言葉を交わしたあと、ちょっとだけお仕事の話をしました。
その中でも盛り上がったのが「プラセボ効果」のお話。友達の会社の研究所では、「プレセボ効果を消す薬」の研究を開始しようとしてるそうなのです。
プラセボ効果とは、「プラセボ(偽薬)と言う、効き目ある成分が何も入っていないくすりを服用しても、患者さん自身が、自分が飲んでいるくすりは効き目があると思い込む」効果のことです(製薬協ホームページ)。このプラセボ効果、薬作りの鍵となる作用です。
お薬の効果を調べる臨床試験では、患者さんの症状が改善したとしても、それがプラセボ効果なのか実際の薬(実薬)の効果なのが一見して分かりません。そこで、プラセボだけを飲む患者さんのグループ(プラセボ群)と実薬を飲む患者さんのグループ(実薬群)を設定し、それぞれの群での投薬後の変化を比較します。もし、プラセボ群と実薬群の間に意味のある差(統計学的に有意な差、と言います」があるとき、プラセボ効果を上回る「薬による差」がある、と考えます。
さて、このプラセボ効果、単なる思い込みの効果ということで、その様の効果があったとしても大したことはない、と思われるかもしれません。しかし、実際の臨床試験では、「プラセボ効果が大きすぎて薬の作用が検出できない」という結果が良く現れます。このような状況が起こりやすいのは、患者さんの「感覚・印象」を元に薬剤の効果を判定する場合です。代表的な例としては、「痛み止め」の臨床試験でこのような状況がよく起こります。「痛み」は心理的要因が非常に強いことから、思い込みによる改善作用も表れやすいのです(逆に、心理的要因により痛みが悪化したり治りにくくなる状況もあります)。
薬を作るときには、まず動物実験で効果を確認し、それから患者さんを対象にした臨床試験に進みます。動物実験の段階では、動物にはプラセボ効果は起こらないとされているので(もしかするとあるのかもしれませんが、その検出は難しいでしょう。逆に評価者の恣意性のほうが問題になります)、薬の作用が明確に検出できます。しかし、これが患者さんを用いた試験となると、プラセボ効果が大きく現れる状況が容易に起こりうるので、薬の効果を示すことが格段に難しくなるのです。
もちろん、プラセボ効果を越える「真の薬効」を持つ薬を得ることが一番大事です。しかし、痛み止めの評価のようなプレセボ効果が出やすいタイプの臨床試験では、「真の薬効」を捉えるためには多くの患者さんを用いた大規模な試験が必要となります(プラセボ効果と実薬の効果の差が小さいので、臨床試験の対象となる患者數を多くしないと効果が検出できません)。一方、臨床試験の初期の段階では、少数の患者さんを対象にした予備的な試験を行い、安全性と最低限の効果を確認する必要があるのですが、患者さんの数が少ないと、プラセボ効果と実薬の効果の差が非常に取りにくくなります。有望な薬の候補があったとしても、試験方法の問題(患者数とプラセボの問題)で、その薬効を見逃してしまうという不利な状況は、製薬会社にとっては頭の痛い問題です。
というわけで、「プラセボ効果を消す薬があれば、このような状況が改善できるのではないか」というアイデアが出たというわけです。
「プラセボ効果を消すには、プラセボ効果の仕組みを知らないといけない」ということで、まずは動物でプラセボ効果が出せないか、という方向で研究は進むようです。ただし、プラセボ効果を評価するには、薬の概念「これを飲むと楽になる」が理解できる事が必要なので、それなりに賢い動物を使わなくてはいけない、というのが最初の壁のようです。それなら、社員自らプラセボを飲んで実験対象になる、というアプローチもありなのでは、と思ったのですが、「プラセボを出しても、裏の裏を読んでかえってややこしくしてしまうヒトが(特に研究者には)多いので、結果の解釈がややこしくなる」のだそうです。騙されるくらい素直でピュアな心を持つ動物で、まずは調べてみたいのだそうです。
「私なんかは、素直でだまされやすいので、ぜひ調べてほしい」と思ったりしたのですが、エイプリールフールの標的にされそうだったので、この言葉は胸のうちにしまっておきました。。。。
ーーーーーーーーーーーーーー念のため、ここまでネタ。
さて、今年のエイプリールフールのお話はプラセボにまつわるお話でした。「プラセボ効果を消す薬の開発」の部分は作り話ですが、プラセボ効果が薬の開発で大きな影響を与えているのは確かです。実際、臨床試験の対象患者として、プラセボ効果の出にくい患者さんを選ぶ(事前検査を行なって選抜する)などの対応がされる場合も多いと聞きます。また、痛みのようなプラセボ効果が出やすい主観的症状については、客観的な評価指標(血液検査などで得られるバイオマーカーと呼ばれる指標)を探す試みも行われていますが、なかなかうまく行っていないようです。もうしばらくは、いかにプラセボ効果とうまく付き合うか、というレベルの対策を行うしかないようですね。
今日で2014年も終わり、個人的にはあっという間の1年でした。
本業では、海外の方とのお仕事が軌道に乗り、コミュニケーションとか海外出張にも大分慣れてきました。最終ゴールである「薬を創りだす」というところまではまだまだ行かないのですが、それに必要な「舞台」を整える仕事は、この1年で達成できたのかなと思います。私は、白衣を着て実験する立場ではありませんが、来年も、このような「舞台」をもっとたくさん作れるように、いろいろトライしていきたいと思います。
一方、仕事以外の時間では、本業とは違った点で頭を使ってみようと、大学1年生向けの微積分の教科書を半年かけて勉強しました。使ってた教科書はこれです。斎藤毅先生の「微積分」。
教科書の定理の証明については、行間に省略されている部分を自分の頭で埋めつつ、ノートに書き写しました。大学生の時は飛ばしていた「定理の証明」(定理の結果だけつかえば、最低限単位に必要な問題は解けますよね、、)をきっちり追う作業というのもなかなか面白く、飽きずに続けることが出来ました。なんで大学生のときにこういう作業しなかったんだろう(40半ばで理解できるなら、10代の頭なら余計容易なはず)とも思うのですが、まぁ、楽しみをあとにとっておけたということで、それはそれで良かったのではないかとも思います。
数学の証明は、論理的に抜けがなく、キッチリ頭に入ってきます。それに対して、今のお仕事、特に生物学の論文は、数学のようにガチガチの論理では出来ておらず、読むときには「どこが抜けているか」を気にしなくてはいけません。その「抜けているところ」を捉えるには、そこを嗅ぎ出す感覚が必要です。
今年はSTAP細胞の話題が盛り上がりました。この話題では、様々な研究者が、論理の抜けているところ、合わないところを見つけ出し、ぼやっとした疑念を明確なものにしていきました。現場の第一線で活躍し成果を上げる研究者は、この感覚が優れており、それを埋めるための新しいアイデアを生み出す能力を持っているのだと思います。
「論理の抜け」に気づく感覚を研ぎ澄ますには、論理がきちんと成立しているお手本を沢山読み、自分でも組み立ててみることが必要だと思います。来年も、こんな感じで、オフの時間には頭の体操というつもりで、数学の教科書を読み込んでいきたいと思います(もちろん、本業の論文も読みますよ。。)。
このように、オフの時間には、いろいろと自分の世界に使ってしまうことが多く、ブログの更新が不定期になっております。これはブログのネタにしたい、という、気持ちの良い話題(STAP細胞のようなネガティブなものではなく)が、たくさん出てくれることを期待したいと思います。
それでは、来年も宜しくお願いいたします。
人気科学ブロガーぱんつさんの以下の記事に刺激されて、この記事を書きました。
ぱんつさんのブログ「アレ待チろまねすく」
「卵子の染色体の特定の物質外れると流産に」というNHKの記事を僕が書くとしたら
NHKのニュースサイトに「卵子の染色体の特定の物質外れると流産に」という内容の記事が公開されました(ぱんつさんの記事にも、全文掲載されています)。「この記事と同じ内容の科学記事を、自分ならどう書くか」という視点はとても面白く、また、同じ趣向の記事をおぱんださんも書かれていたので、私も便乗させていただきました。
おぱんださんのブログ「券売機で購入できます」
「卵子の染色体の特定の物質外れると流産に」というNHKの記事を私が書くとしたら
なお、私の記事を作成するにあたり、論文著者が所属する国立成育医療研究センターの以下のプレスリリースを参考にしました。
正常な胎盤及び胚の発育に必須の卵子 X 染色体の活動を維持する仕組みを解明
それでは、私の書いた記事はこちらです。
メスの受精卵が正常に発育するには、2本あるX染色体のうち卵子由来のX染色体のみが働くことが必要です。国立成育医療研究センター研究所の福田篤研究員と阿久津英憲生殖医療研究部長のグループは、この仕組みをマウス受精卵を用いて世界で初めて明らかにし、科学雑誌ネイチャーコミュニケーションに発表しました。
これまでの研究から、イグジストという遺伝子がX染色体を働かなくすることが知られていました。福田研究員らは、染色体を構成するヒストンというタンパク質に注目し、卵子由来X染色体のヒストン上に、イグジストの機能を止めるための「目印」を発見しました。この目印は、ヒストンのリジンというアミノ酸に、メチル基という構造が結合してできています。この目印があると、卵子由来のX染色体のイグジストは機能せず、X染色体は機能できます。一方、精子由来のX染色体は目印を持たないので、イグジストが機能し、X染色体は働きません。
同様のメカニズムがヒトにも存在した場合、この仕組みの異常が、反復性流産などを引き起こす可能性も考えられます。今回の結果は、原因不明の不妊・不育症に対する新しい治療法の開発に繋がるかもしれません。(ここまで495字)
この記事を書くにあたって、NHKの記事の文字数(421字)にできるだけ近づけることを目標にしました。ちなみに、NHKのアナウンサーは、漢字仮名交じりで1分間に300~350語くらいの速度で原稿をよむそうなので(参考NHKアナウンサールームQ&A)、1分半くらいのニュース原稿という感じでしょうか。
記事を書いていて、特にきつかったのは、「できるだけ科学的背景を省略せず伝えること」と「NHKの記事の字数に出来るだけ合わせること」を両立させることでした。実際にやってみて、短い文章の中で、平易な文章・単語を使って科学的内容を説明するには、それなりの技術が必要なのだと痛感しました(これは、科学に限らず、専門知識が必要な分野全てに関して当てはまると思います)。また、ニュース原稿と想定すれば、字面で見るのと耳で聞くのとでは、内容理解のしやすさが全然違うでしょうから、そういう点も本来は気をつけて書かなくてはいけないのだと思います。
今回は元論文を読む時間がありませんでしたが、記事の作成スピード(この記事を書くのに小一時間かかりました)や内容の簡潔さを要求されることを考えると、元論文の正確な理解より、まずはプレスリリースの正確な理解が大事なのだと思います(プレスリリースの出来に左右されたりもするのですが)。で、その中でも、短い文章にする上で、どの内容を取り上げ、どの内容を省略するか、が問われるのでしょう。
参考;元論文
Nat Commun. 2014 Nov 14;5:5464. doi: 10.1038/ncomms6464.
Author:薬作り職人
十数年、新薬の研究に携わる研究者(薬理系)でした。2012年4月から、企画職として、新薬のアイデア作りなどの仕事に取り組むことになりました。
薬学生向けの季刊誌MILで、「名前で親しむ薬の世界」「薬作り職人の新薬開発日記」って言うコラムを連載してました。
観光地で売ってるミニ提灯集めてます。妻子持ち(2児の父)、嫁さんからぐうたら亭主と呼ばれます。
薬&提灯 詳しくは
病院でもらった薬の値段
http://kusuridukuri.cho-chin.com/
お薬の名前の由来
http://drugname.onmitsu.jp/
ミニ提灯データベース
http://kentapb.nobody.jp/
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